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【B.LEAGUE×ハウスメイト】【インタビュー】
田中 大貴
アルバルク東京 #24
エースとして、リーダーとして、2020-21シーズンと五輪に全力を尽くす
2020年10月2日、Bリーグの2020-21シーズンが開幕しました。
Bリーグのサポーティングカンパニーを務めるハウスメイトでは、開幕に先立ってBリーグ選手5名にインタビューをおこない、バスケットボールに対する熱い思いや、2020-21シーズンに向けての意気込みを伺いました。バスケットボールファンの方々はもちろん、あまり試合をご覧になったことがない方も、ぜひBリーグや選手の魅力にふれてください。
学生時代の経験がいまの自分をつくった
日本バスケットボール界のプリンスと称され、アルバルク東京というBリーグを代表するビッグクラブのリーダーを務める田中大貴。そのキャリアは、長崎県の小さな小学校からはじまった。
「小学2年生のときに、一緒に遊んでいた友だちがバスケをはじめ、僕もついていったのがはじまりです。生徒が少ない学校で、バスケ部以外の部活はなかったんです。バスケをはじめたのは本当にたまたまで、もし野球部しかなければ、ずっと野球をしていたかもしれませんね」
顧問の先生は、バスケットボールの経験者ではなかったが、自ら基礎を学んで熱心に指導してくれた。並み外れてスポーツができた田中は、高学年になると試合でも活躍し、だんだんバスケットボールに夢中になっていった。
「当時は生意気なところもあり、調子に乗って周囲に良くない態度をとったことも正直あったと思います。そんなときは、先生がチームのリーダーとしてどう振る舞うべきかを教えてくれました」
地元の公立中学校に進んでからも引き続きバスケ部に入り、競技経験者のコーチのもと、本格的にバスケットボールを学んだ。
「いま思えば、当時の練習が一番厳しかったですね。休みは1月1日だけでした」
ハードな練習に明け暮れた中学時代を終え、地元の進学校だった長崎西高校に進んだが、さまざまなギャップに悩まされることになった。
「進学校ですから、バスケ部の練習時間は1時間半くらいで、土日もテストばかりでした。限られた練習時間のなかで、全国のトップ選手たちに負けないためにはどうすればいいのか……といろいろ考えながら練習していました」
バスケットボールよりも学業を優先したいというチームメイトが多いなか、空いている時間を見つけては自主的に練習を重ねた。
「周囲との温度差は感じましたが、バスケの強豪校を選ばずに、進学校という環境に身を置いたのは自分の選択です。言い訳をせず、自分が決めたことを、しっかりやり続けようと思いました」
田中は進学校を選んだことで、むしろ強豪校の選手とは違った経験ができたと、当時の選択を前向きにとらえている。
「あのとき努力をやめなかったから、いまの自分があると思います。なにごとも強い意志を持ち、周りに流されずに打ち込めば、必ず自分の思い描いているところにたどり着けます」
高校時代の顧問の先生にかけられた「しっかり努力すれば、将来日の丸を背負うチャンスがある」という言葉も、田中の背中を押してくれた。
「全国大会に出場するようになって、もしかしたら自分にもチャンスがあるんじゃないか……という気持ちが芽生えてきました。先を意識するようになり、関東の大学に進むことを決めたんです」
いくつかの大学から誘いがあるなか、レベルの高い関東大学リーグの東海大学に進路を定めた。
「大学では強豪校出身のチームメイトが多く、良いモチベーションが生まれました。1年生のときから活躍して、だれよりも目立ってやると(笑)」
その言葉の通り、1年時からリーグ戦で活躍した。3年時の全日本大学選手権では日本一の座をつかみ、日本代表にも選出。主将を務めた4年時には関東大学リーグと全日本大学選手権の2冠を達成した。
日本バスケ界を引っ張る存在として
大学バスケの頂点を極めた田中は、次のステップとしてNBL(当時)のトヨタ自動車アルバルク東京に入団。リーグ新人王に輝いたが、入団後しばらくはリーグ戦、天皇杯でチームの結果が出ず、責任を感じていたという。そんななかBリーグが発足し、チームも実業団からプロ化。選手を取り巻く環境は大きく変わった。
「僕はBリーグの開幕戦に出場しましたが、メディアの扱いも含め、本当に風景が180度変わりました」
記念すべきBリーグのオープニングゲームを看板チームのエースという立場で戦うことは、自分やチームのパフォーマンスだけではなく、リーグ全体の繁栄へと視野を広げるきっかけになっただろう。
「僕が小さいころは、プロ選手としてバスケットボールをプレーすることなど想像もできませんでした。いまはBリーグというはっきりとした舞台があり、そこを目指して夢や目標を持ちやすい環境にあります。リーグ発足から年数を重ねるごとにレベルも高まり、観客数や認知度も向上していますが、自分たち選手も含めて、まだまだ成長していかなくてはなりません。現役の選手には、子どもたちがこの舞台で活躍してみたいと思えるように、しっかり道をつくっていく責任があります」
Bリーグの初代王者こそ逃したが、2017-18シーズン、2018-19シーズンと連覇を達成。リーグ3連覇がかかっていた昨シーズンも、コロナ禍で打ち切られながら最高勝率を記録し、ビッグクラブの貫禄を見せつけた。その原動力となった田中は、自身初のレギュラーシーズンMVPを受賞。名実ともにNo.1プレイヤーとなり、いまやアルバルク東京のみならず、日本のバスケットボール界を牽引する存在だが、田中はまだまだだと首を振る。
「今シーズンは29歳で迎えますが、まだまだ下手だな、もっと成長できるな、と日々感じています」
先を見据える田中の目には、東京オリンピックがくっきりと映っている。
「東京オリンピックはすごく意識しています。延期という形になっても、オリンピックに対する思いは変わりません。自国で開催される大会ですので、このチャンスは必ずつかみたいですね。オリンピックに出場し、プレーしている姿を見せることが、学生時代の先生方や自分の親、いままでお世話になった方々への一番の恩返しになると思います。Bリーグはもちろん、東京オリンピックでも良いパフォーマンスができるように、しっかり準備していきます」
プロフィール
田中大貴(たなか・だいき)
1991年、長崎県生まれ。193㎝、92kg。背番号24は、出身校の長崎西高校の西(ニシ=24)にちなむ。東海大学で全日本大学選手権を連覇、2年連続でMVPを獲得し、14年にトヨタ自動車アルバルク東京(当時)に入団。2016-17シーズンからレギュラーシーズンベストファイブを4シーズン連続で獲得し、2019-20シーズンはシーズンMVPにも輝いた。