くらしの情報箱
2025.01.22
【大家は、何を売っているのか。】②家は心の拠り所
ざあざあぶりの雨はどんどん強くなって、台風でもないのにでこぼこの田舎道にあっという間に小さな川を作ってしまった。こんなとき、平坦だと思っていた土地にも、高いところと低い部分があることがよくわかる。あまりに降るから、庭は灰色のもやがかかったようで、朝日が昇ってから3時間は経っているというのに外は薄暗いままだった。
「こんな土砂降りだと来るのが大変だあ」
窓の外を見ながら私がいうと、母はそれには答えず、「畑仕事を気にしないで済むからよかった」と言った。
父が亡くなって1ヶ月が経ったその日、母は近所の人たちを集めて簡単なお別れお茶会を計画していた。前の晩から水に浸けていた小豆を茹でてあんこを作る。丸めたあんこは一つずつ米粉の生地にくるみ、手のひらでころころと丸める。郷土のおやつ、かがらんだんご、だ。ご近所さんが集まり始める少し前に蒸し器に入れ、できたてを出すつもりらしい。ガス台を3段重ねの蒸し器が陣取っていた。
大雨が降れば、農家は畑に出ることはない。だから心置きなく、父の弔いに参加してもらえる。農家ばかりが肩を寄せ合う集落で暮らす母は、そう思ったのだろう。
お盆がやってくる少し前の、8月の暑い夜、父、俊一郎が亡くなった。葬式までのふた晩を父は自宅で過ごした。
「俊ちゃん、帰ってきゃったんな、よかよか、おかえり」
「やっと帰ってきゃったなあ」
「よかったなあ、わがえ(家)じゃっど」
もう動かなくなってしまった父を囲み、ムラの人々は、父が家に帰ってきたことを心から喜んでいた。
亡くなった日、母が遺体とともに夜11時ごろ病院から帰宅すると、家にはこうこうとあかりが灯っていたそうだ。知らせを受けた集落の人々が集まって、拭き掃除をし、畳を磨き、布団を敷いて待っていたのだ。最近こそ、この辺りでも外出時には鍵をかけることが定着しているが、父危篤の一報を受け慌てて病院に向かった母が閉め忘れた窓を誰かが発見し、そこからぞろぞろと中に入っていったのだと聞いた。
後になって、居間に敷いていた敷物も、洗濯し終えた新しいものに変えてあったと、母は話した。おそらく家中を探し回って、見つけ出したのだろう。
東京で26年の月日を過ごしてきた私は、目の前で見る光景に、それが生まれ育った実家での出来事であるにもかかわらず、小さくない驚きをもって見つめていた。
70代、80代、90代の父の知る人々は、相手がもう息をしていないことも、耳が聞こえていないこともお構いなしに、話しかけた。
「あんた意外に鼻が高かったんやねー」
「ばあちゃん似やとおもっとったけど、じいちゃん似だったんやね、今初めて知ったわ」
「畑仕事せんようになったから肌がきれいでよかなあ」
「どや、焼酎飲むか?」
「やっと思い切り焼酎飲めるんやから、嬉しいやろ、ほれ」
生きている人と会話するのとひとつも変わらなかった。
ひょっとして父は寝ているだけではないかと思った。そしてだんだんと生きていることも死んでいることも大した違いはないようにさえ思えていった。顔に乗った布を取って、びっくりするほど近くまで顔を寄せて覗き込むし、顔や手、足をペタペタと触る。それはやってくる弔問客のたびに繰り返された。
田舎の人たちはこうやって何人もの人たちを見おくってきたのだろう。だから、かなしいとか寂しいと言うより、みんなこれは順番っこ、という気持ちが強いのかもしれない。
人が大勢集まると必要なものがたくさん出てくる。
湯呑み茶碗、茶卓、コップ、氷、麦茶、麦茶ポット、やかん、お盆、お茶菓子、お箸、米、炊飯器、おにぎり、ごま塩、うちわ、トイレットペーパー、布団、クーラーボックス、それに充電器だ。また、モノではないが、県外から集まってくる親類縁者を空港や駅まで出迎えに行く人員と、荷物と人が乗るだけの大きめの車も必要だ。それらを地域の人々が、男手と女手に分かれ、分担してまかなう。
男たちは車を出す。女性たちはおにぎりを握る。それぞれが今、必要なものは何かを先読みする。自分の家から氷、扇風機、中には布団を抱えてきた人もいたし、家中のトイレットペーパーをかき集めてきた人もいた。誰かが依頼をしたり、取りまとめたりしているわけではない。各人が自らの経験に基づき、自然に動いていた。
みんな順番に生まれて、順番に死んでいく、こればっかりはみんな平等、恨みっこなしよ、そんな空気が流れていた。だからみんなで励まし合うし、みんなで支え合う。それは自分の子や孫らのためでもあるし、いつか来る自分自身のその時のためであるかもしれなかった。
今までは必須だったが、今回不要になったものもあった。それは座布団だ。村人たちが皆高齢になり、畳や床に座ることが難しくなった。
私は、自宅での通夜は初めてではなかった。過去に同居の祖父、祖母を見送ったことがある。その時は、ほとけ様が寝ている部屋、居間、縁側、玄関にまで近所の人たちが夏祭りの水桶に浮かんだボンボンみたいにびっしりと座っていた。どの家庭にも、夏用の御座の座布団、冬用の綿入り座布団が何十枚もあって、押し入れの大部分を占有し静かに出番を待っているのはそのせいだとその時わかった。しかし、そんな風景はもうなくなっていた。代わりに必要になったのが椅子だ。
家にある椅子を片っ端から出しても人数分はなかった。新しい弔問者が来ると椅子を譲って前にいた人が帰っていく。このため長く人が留まるということはなく、順番に入れ替わった。
祖父母の通夜の時は、家中に人がいて膝を寄せあい車座になって、夜通し亡くなった人の思い出話や昔の話をしていたが、そうした姿は少しずつなくなっていくのだと私は知った。
年配の人ほど、家で生まれて家で死ぬという記憶が脳の奥深くに刻まれていて、家は、自分の人生をぜんぶ見てきた場所という意味合いが強いのかもしれない。あるいは、体のいち部分とも言えるかもしれない。父が家に戻った時、心の底から喜んで「おかえり、おかえり」と声をかけ続けた人々を見て私はそう思った。父の死によって、家がただ住処としてだけでない拠り所だということを、まざまざと知ることになった。それはきっと、持ち家であっても賃貸でもあっても変わらないはずだ。
私がいる賃貸業界では、大家がその拠り所を提供している。家こそが心の拠り所だ。だから、大家の仕事とは、ビジネスを超えた作法が求められる。
「シューシューシュー」
蒸し器が真っ白い湯気を出し、中のだんごが熱々に蒸されていることを知らせていた。母が「はいはい」と言って近寄っていく。あんなに降っていた雨はぴたりとやんで、青い空が広がっていた。庭先で誰かの声がする。また近所の皆さんがどかどかと上がり込んでくるはずだ。そしてだんごを食べながら言うのだろう。
「うんまかなあ、うんまかなあ」
「ほれ、俊ちゃん、あんたもくてみれ(食べてみて)、うんまかどお」
執筆者プロフィール | 吉松 こころさん
「Owner’sWay」編集長、株式会社パルマ社外取締役、一般財団法人KILTA理事。
業界紙「週刊全国賃貸住宅新聞」での業務経験、62日間の世界一周一人旅での不動産視察を経て「株式会社Hello News」を設立。不動産業界の現場を取材し続けている。
引越し回数22回
3年間の二地域居住経験あり(東京・福岡)
民泊宿泊750泊
シェアハウス3ヶ所
マンスリーマンション2ヶ所
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