くらしの情報箱
2023.03.22
【名作ゆかりの温泉宿】~一句浮かんできそうな幸せな湯浴み~宮城県 作並温泉 鷹泉閣 岩松旅館
今から120年前、夏目漱石ら明治の文人に鮮烈な印象を残し、34歳で早世した正岡子規。「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という著名句を残した俳人として知られていますが、短歌や日記、漢文や論評など多くの文をしたためています。20歳過ぎから自分の命を自覚せざるを得なかった病身の子規が、どうしても訪ねたかった東北。その紀行文『はて知らずの記』に描かれた作並温泉を訪ねてきました。
仙台駅から山形駅へと向かうJR仙山線の車内は、座れないほどの混雑ぶり。市街地を抜け、荒々しい岩山が迫ってくると作並駅も近い。駅前には旅館の送迎車が待機しており、仙台駅から50分で岩松旅館に到着した。
と、交通便利な温泉地だが、正岡子規が旅をした明治26年当時、鉄道はなく、子規は約25キロの道を歩いて岩松旅館にたどり着いた。
岩松旅館は、川縁にある岩風呂で知られる老舗旅館だ。江戸後期の寛政8年、今から227年前、岩松家のご先祖様が、苦労を重ねて作並温泉を開発した。岩風呂へと下りていく七曲がりの通路には、97段の階段が設けられた。子規もこの階段が印象に残ったようで、「温泉は廊下傳ひに絶壁を下る事数百級」と記している。歩き疲れた子規にとってはことさら長く、数百段に感じられたのだろう。
現在の階段は88段。千社札が張られた木造廊下を川底へと下っていく。途中、50数段目に女性専用の渓流風呂が設けられている。さらに下ると、渓流に寄り添うように細長く岩風呂が並んでいる。浴槽は4ヵ所。お湯はすべて自然湧出だ。一番奥にある「河原の湯」は、さらに2段ほど下りるので川底と同じ高さとなる。足元から透明艶やかなお湯が湧き出しており、温泉好きなら小躍りしたくなる素晴らしい風情と入浴感だ。子規もこの岩風呂には感動したようで「浴槽の底板一枚下は則ち淙々たる渓流」「山間の奇泉」と記している。
この岩風呂を、不便もありながら今もそのまま残しているのが、岩松旅館の一番の魅力だ。これだけ大きな規模の宿で、温泉すべてが自然湧出の上、浴槽すべてが源泉100%かけ流しであることにも驚かされる。岩松旅館の歴史は作並の歴史でもある。周囲の自然も含めて、地元を大事にしてきことが、お湯の使い方や、地元食材を作った夕食メニューなどからも感じられた。
岩松旅館では、老舗の看板に胡座をかかず、新しい試みも取り入れている。混浴が苦手な女性のため全館レディースday(今年は9月6日)を設けたり、地域と一緒になって桜の木の植樹や子ども俳句教室なども行ったりしている。
明治という新時代を生きた正岡子規は、昔ながらの俳句の世界を嫌い、今に受け継がれている近代俳句を打ち立てようとしていた。東北への旅でも、多くの文人や俳人に会い意見を交わしている。旧態依然とした宗匠に、失望したり憤慨したりもしているが、岩松旅館に泊まる前に出会った歌人・鮎貝槐園(あゆかい かいえん)とはウマが合い、大崎八幡宮近くにあった槐園の家に計3泊して文学談議に花を咲かせている。
そのためなのか、この旅行記の中でも、作並温泉に泊まる前後の描写は、活力にあふれているように感じられた。『はて知らずの記』には、時に寝込んだり、歩くことが難しくなったりと、病身ゆえの記述も多い。体が辛かったのか、山寺や平泉にも立ち寄っていない。だが子規はここ仙台の地で、新しい出会いを得、温泉で体を癒し、明るい希望を得たのではないかと思われる。
『はて知らずの記』の最後はこんな一文で締めくくられている。「はてありとて喜ぶべきにもあらず。はてしらずとて悲むべきにもあらず」「誰れか我旅の果(はて)を知る者あらんや」。
人生は旅であり誰にもその終わりはわからない。34年11ヶ月という短い生を終えた正岡子規。一度きりの東北への旅は、彼にとって生涯最大の旅であり、その後の9年間(うち最晩年の数年間はほぼ寝たきりとなってしまう)の支えにもなったのではないだろうか。
岩風呂に浸かりくつろいでいる子規をしのびながら、今も同じお湯に浸かれる幸せを岩松旅館では感じることができた。
鷹泉閣 岩松旅館
宮城県仙台市青葉区作並字元木16
TEL.022-395-2211
【アクセス】
・JR仙山線作並駅より無料送迎バス5分
・JR仙台駅前10番乗り場より仙台市営バス約60分の作並温泉元湯下車すぐ
・東北自動車道仙台宮城ICより国道48号経由、22㎞
https://ssl.iwamatu-ryokan.com
【泉質データ】
5本の自然湧出泉から毎分計約350リットルのお湯が湧き出し、すべての浴槽が源泉100%かけ流し。温泉好きにはたまらない名湯の宿。泉質はいずれもナトリウム・カルシウムー硫酸塩・塩化物泉。男女別大浴場のほか、女性専用の渓流風呂、混浴(女性時間あり)の天然岩風呂がある。
【宿泊データ】
客室は91室あり、うち2室はかけ流しの半露天風呂付きの特別室。通常客室は和室+ツインまたは和室1間だが大半はベッドの客室。食事は基本、バイキングまたは和ダイニングでの和食膳。地野菜や乳清豚を温泉で蒸した「作並元湯蒸し」や、地元名物・三角定義あぶらあげ、宮城の牛タン、宮城や山形の芋の子汁など、素朴な東北の味をいただける。平日1泊2食付き1名1万6650円~(2名1室の場合)。
【日帰りデータ】
日帰り入浴は基本・土日祝日で11時~13時(受付)。1人1870円(タオル付き)。個室休憩+昼食+入浴は1人8800円~で2名から。JR作並駅より1時間に1本程度送迎バスも運行されており日帰り入浴客の利用もOK(12時~13時の送迎はお休み)。清掃などにより入浴時間が限られる場合もあるので事前に確認を。
正岡子規『はて知らずの記』
正岡子規は江戸最後の年1867年10月、伊予国温泉郡(現愛媛県松山市)に生まれ、1902年9月、34歳の若さで亡くなる。22歳の時に、当時、不治の病であった肺結核と診断。病弱でありながらも、旺盛なる好奇心で各地へ旅を続けるが、中でも最も長く旅をしたのが、1893(明治26)年7月19日~8月20日、松尾芭蕉の『おくのほそ道』をしのんで出かけた東北への旅。この旅行記は、新聞『日本』に21回にわたり連載され、後に『増補再版 獺祭書屋俳話』(明治28年刊・日本新聞社)に決定稿が収録された。現在では、岩波文庫『子規紀行文集』などで読むことができる。
温泉ライター 西村理恵
雑誌やテレビなどで温泉の魅力を発信。入湯数は国内外で1000湯以上。日本温泉地域学会常任理事、(公財)中央温泉研究所理事。「ねこ温泉 いぬ温泉」プロジェクト主宰。
https://catdogonsen.com
※価格には、消費税、入湯税が含まれています。
※新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から、お出かけの際は各自治体などの最新情報をご確認ください。
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