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【名作ゆかりの温泉宿】~「太宰治」を大事に伝えている居心地のいい気配りのお宿~群馬県 谷川温泉 旅館たにがわ

【名作ゆかりの温泉宿】~「太宰治」を大事に伝えている居心地のいい気配りのお宿~群馬県 谷川温泉 旅館たにがわ

霊峰・谷川岳を望む谷川温泉は、500年の長い歴史を伝える温泉地です。清らかさに満ちたこの場所で、昭和11年、27歳の太宰治は、薬物中毒と肺病の療養を兼ねて夏のひと月を過ごしました。その翌年の3月には再び谷川温泉を訪れ、内縁の妻と心中を図ります。太宰にとって生涯忘れられないであろう谷川温泉はどんなところなのか、訪ねてきました。

(写真左)昭和6年に越後湯沢へ抜けるトンネルが開通、鉄道の町としてにぎわった
(写真右)駅近くに展示された昭和18年製作のD51、太宰もSLに乗って来たのだろうか

上越線水上駅から坂道を登ること約4キロ。進むごとに谷川岳が大きく見えてくる。谷川温泉は、4軒の宿と1軒のペンション、日帰り温泉施設などが点在するこじんまりとした温泉地だ。今から90年ほど前、太宰治が滞在した頃には3軒の旅館があった。今も続いているのは金盛館だけ。お金に困っていた太宰が、この老舗宿に泊まれるワケはなく、すぐ隣にたつ川久保屋という下宿屋のような素人宿に滞在した。

谷川温泉街から望む谷川岳は大きくて神々しい

川久保屋が立っていた場所は、旅館たにがわの駐車場のあるあたり。旅館たにがわの前身である谷川館は、川久保屋の立っていた場所に昭和27年に誕生した。その後、建物はなくなり、昭和56年、谷川館のご子息により、新しく旅館たにがわが創業する。いずれも太宰が亡くなったあとのことで、関わりは薄いようにも思えるが、今もずっと「太宰治」を大切にしている。どうしてなのか。旅館たにがわ支配人の中山さんにお話をうかがった。

館内の太宰治ギャラリー、初版本など貴重な資料がそろっている

「太宰治研究に生涯をささげた先生が、私どもの宿を何度も訪ねてくださいまして、勉強会を開いたり、資料を見せてくださったりしたんです。太宰治にとって、ここ谷川温泉が、本当に大切な場所なんだということを、一同、改めて感じました」。そのため館内に太宰治のギャラリーを設けたり、太宰の命日である桜桃忌には、近くに設けられた太宰治の碑におまいりをしたりしているのだそうだ。

旅館たにがわから水上方面へ1.3キロ下ったところにある『姥捨』の碑
6月19日の桜桃忌には、旅館たにがわのスタッフさんらがお花を供えしている

太宰は温泉とゆかりの深い作家で、ふるさと青森の大鰐温泉や浅虫温泉はもちろん、伊豆や甲府など多くの温泉に出かけている。だが、谷川温泉は間違いなく特別な温泉地だ。青森で出会い、生活を共にした内縁の妻・初代との10年間が終わった地であり、自殺願望が強かった太宰が、しばらく生きてみようと思うきっかけとなった場所でもある。

温泉街の真ん中あたりに立つ「旅館たにがわ」、道をはさんで向かいに太宰の碑が建っている

谷川沿いの遊歩道を歩いたり、薬師堂におまいりしたり、温泉に入ったりしていると、「ここを太宰治が歩いたに違いない」「谷川のきれいなお湯に少しは心和んだこともあったのではないか」などと思えてくる。

(写真左)温泉街の奥にある薬師堂、沼田真田藩2代目の奥方の眼病治癒をことほぎ建立
(写真右)高台にある富士浅間神社中宮から太宰と親交のあった深田久弥は昭和8年に谷川岳へ登攀

谷川の温泉街は俗っぽさがなく、美しい水と深い森や山が生み出す清らかな空気に包まれている。そこにいるだけで体の中が透き通っていくような気持ちの良さがある。もしかするとここには心や体を再生させてくれる自然の力みたいなものがあるのかもしれない…。旅館たにがわの整った客室で、谷川温泉でのできことを描いた『姥捨』を読みながら、ぼんやりとそんなことを考えた。内縁の妻との道行きという暗いテーマの作品なのに、明るい再生の物語のように感じられた。

広々としたロビースペース、到着時は味噌田楽、朝はマイタケのお味噌汁のおふるまいも
たいへんお美しい若女将の久保真帆さん
「『姥捨』には谷川温泉の情景が詳しく描かれていて驚きました」

旅館たにがわが、太宰治を大切にしているのも、日々、生きづらさを感じている人たちに、安らぎをもたらす宿でありたい、といったような思いがあるからなのかもしれない。

旅館たにがわ

群馬県みなかみ町谷川524ー1
TEL.0278-72-2468(9時~20時)
【アクセス】
*JR上越線水上駅より送迎10分(要予約)
*関越道水上ICより車で約10分
https://www.ryokan-tanigawa.com

【泉質データ】
無色透明な単純温泉。温度の異なる4本の源泉を混合して適温に調整している。弱アルカリ性のためツルツルとした肌感触。男女別に大浴場と半露天風呂があるほか、別途有料の貸し切り半露天風呂もある。

男女別大浴場と併設されている半露天風呂、きらめきのある透明なお湯が注がれている
45分2500円で利用できる貸切り風呂

【客室データ】
全28室。通常和室、和ベッドのモダン客室、源泉かけ流しの露天風呂付き客室など、様々なタイプの客室を備えている。1泊2食1万8300円〜(2名1室の場合)、露天風呂付きの客室は3万400円〜(同)

和室のほかモダンラクジュアリーな客室も、一番狭い部屋でも10畳と広々している

【日帰りデータ】
夕食付きの5時間滞在プランや昼食夕食付きの10時間滞在プランがあり、いずれも要予約。

季節替わりのお料理、タイミングを見ながら運んでくれるので温かい料理をいただける
太宰作品の名前を付けたカクテル5種類も
『姥捨』

昭和13年、『新潮』10月号に発表された短編作品。谷川温泉のできごとを赤裸々に綴っている。その3年後に発表された『東京八景』の中で『姥捨』について、「Hと水上温泉へ死にに行った時の事を、正直に書いた」とあるが、作品に書かれたすべてが本当なのかどうかは研究者の間でも疑問が残るとされている。青空文庫でも読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2256_19985.html

大正時代に創業した金盛館の現在と大正時代の写真
川久保屋には温泉がなく、太宰はこの宿の温泉に入らせてもらっていたと思われる
昭和10年ごろの「まむしの湯」「みもすその湯」
宿から橋を渡った対岸にある。太宰もこのお湯に入ったのだろうか
太宰治

明治42年、青森県金木町の大地主の6男として生まれ、昭和23年、東京玉川上水に入水、38歳の若さで亡くなる。短い人生の中で『走れメロス』『斜陽』『人間失格』など珠玉の作品を数多く生み出す。芥川賞への執着や、女性との心中などスキャンダラスな私生活をおくる中、身を削るようにして書き上げた作品は、弱さをさらけ出しているがゆえに、救われたと感じる人も多く、今なお人気の高い作家の一人だ。
(写真:国立国会図書館「近代日本人の肖像」より)

温泉ライター 西村理恵

雑誌やテレビなどで温泉の魅力を発信。入湯数は国内外で1000湯以上。日本温泉地域学会常任理事、(公財)中央温泉研究所理事。「ねこ温泉 いぬ温泉」プロジェクト主宰。
https://catdogonsen.com

※価格には、消費税、入湯税が含まれています。
※新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から、お出かけの際は各自治体などの最新情報をご確認ください。

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