くらしの情報箱
2024.12.18
【名作ゆかりの温泉宿】~名作『伊豆の踊子』は天城の自然と輝くお湯に恵まれた湯ヶ島から生まれました~静岡県 湯ヶ島温泉 湯本館
「下へとおりていく温泉は良い温泉」、これは温泉好きの間でささやかれているフレーズです。『伊豆の踊子』ゆかりの湯本館は、バス道路から小路をくだった川の縁に立っています。お宿には4カ所の浴槽がありますが、いずれも階段をくだった先に設けられています。お湯を自然に湯船に注ぐことができる昔ながらの「下にある温泉」は、20代だった川端康成の心をとらえた場所でもありました。若き作家が愛した老舗湯宿へと出かけてきました。
今から106年前。当時19歳だった川端康成は、誰にも告げず大学の寮を抜け出しひとり伊豆へと旅立った。途中、旅芸人の一家と出会い、下田まで共に旅をする。この旅で2泊したのが、湯ヶ島温泉の湯本館だ。以来10年間、毎年、湯ヶ島に通い湯本館に滞在した。
「滞在」と書いたが、大学を卒業した後は、初夏から翌年4月まで、そして同じ年の秋から翌年4月までを湯本館で過ごしている。この間、東京に家はなく、湯本館で暮らしながら『伊豆の踊子』を執筆した。
川端青年の心をとらえた湯本館は、創業1873(明治5)年、湯ヶ島で最も早くに開業した老舗宿だ。初代の安藤藤右衛門は、私費を投じて共同湯へと続く「湯道」や、浄蓮の滝への遊歩道を開くなど地元のために尽力した。
現在、宿を受け継いでいるのは4代目の土屋裕子さん。3代目の姪にあたり、この地で生まれ育った天城の人だ。
土屋さんに館内をご案内いただいた。川端が滞在していた2階4畳半の5号室は「私が物心ついたころから“川端さん”と呼ばれていました」とのこと。自筆の書や古い写真、初版本や火鉢などが置かれ、現在は資料室となっている。「“川端さん”の窓の外は、当時、街道が通っていたので、道行く人を窓辺からよくご覧になっていたと聞いています」。そしてもうひと部屋、川端が最も好んだ部屋が2階の1号室。欄間や建具の美しい8畳の客室だ。若山牧水が長く滞在した客室で、この地で詠んだ歌にちなんで「山桜」という客室名がついている。
文人ゆかりの明治の木造建築を大事に守ってきた湯本館だが、今の時代に合うように改装や工夫も重ねてきた。全客室に洗面所やシャワートイレを設置し、朝夕の食事はテーブルの食事処でいただく。大きさの異なる男女のお風呂は、時間によって入れ替えがあり、貸切り露天風呂も含めると4カ所のお風呂に入ることができる。
100年ほど前、湯本館で暮らしていた川端康成は、滞在中、そして滞在後も湯ヶ島について多くの文を残している。「一生温泉場から温泉場へ渡り歩いて暮らしたいと思って」いたほど温泉好きだった川端をして、「湯ヶ島ほど山深く清らかに美しい地は伊豆の温泉場にはなし」と言わしめている。お湯については「肌触りは厳しい」が「湯の匂い」が懐かしいと記している。
湯本館のお湯は、確かにほのかな匂いがある。透明で艶やかにきらめく美しいお湯で、肌をキシキシと磨いてくれ、入浴後は肌がふっくらとするような感覚だ。1泊だと肌ざわりが「厳しい」とは思わなかったが、長く逗留するとそう感じるのだろうか・・。
そして匂いは記憶に結びつく。川端康成は1歳で父を、2歳で母を、その後、祖母、姉、祖父を亡くし15歳で天涯孤独となる。「孤児根性」を内面に抱えているという鬱屈から、伊豆へと旅に出たのだが、湯本館に出合い、ここで日々を過ごすうちに、次第に心の澱を洗い流していく。湯ヶ島を訪れ「湯の匂いが漂って来る」と「懐かしさ一ぱいで駆け出す」と書いているように、幸せな記憶がここで刻まれたのだろう。
「曾祖母が、川端さんのことを息子のように思っていたそうで、珍しいものが手に入れば、まずは川端さんにあげなさい、と。そして夜型の川端さんに、おにぎりやら海苔巻きやら夜食を届けていたとも聞いています」。土屋さんの曾祖母、初代・安藤藤右衛門の妻かねさんは、川端康成の随筆にも登場する。「私が引き上げる時宿のおばあさんは、一人息子を遠い旅にやるようだと涙を流してくれた」。
幸せな関係が築かれていたのだろう。今や川端康成の名前を知らない人はいないけれども、湯本館に滞在していた20代の頃はまだ駆け出しの新人だった。宿代も、もらっているようないないような状態だったと聞く。天城の湯里で、見返りを求めない多くの人たちの素朴なあたたかさに触れ、体も心も丈夫になり、その後の作家人生が大きく花開いていった。
その端緒となったのが『伊豆の踊子』だ。8日間を共にすごした踊子一家との旅を、若き作家は、7年間かけて「私」を浄化する美しい作品へと昇華させた。
温泉は、ひとときでも傷付いた心を救う場所になりうる。そのひとときが積み重なっていけば、こうした宝モノのような繊細な小説が生み出されるのかもしれない。川音が響く客室で『伊豆の踊子』を読んでいると、100年経った今も変わらない、若き日の心の痛みが立ち上ってくるように思えた。
湯本館
静岡県伊豆市湯ケ島1656-1
TEL.0558-85-1028
https://www.yumotokan-izu.jp
【アクセス】
東海道新幹線三島駅より伊豆箱根鉄道35分で修善寺駅、河津方面行きバスに乗り約30分で湯ヶ島温泉口下車、徒歩約8分
東名沼津ICより伊豆縦貫道を経由し月ヶ瀬ICより車で約10分
【泉質データ】
カルシウム・ナトリウム-硫酸塩泉。泉温45℃のため湯船の中では42℃前後の適温に。湯量は毎分80リットル、4カ所ある浴槽はすべて源泉かけ流し。
【日帰りデータ】
昼間の短い時間(12時〜14時30分)のみ可能なこともあり。事前に確認を。
【宿泊データ】
小さな木造湯宿で1泊2食が基本。8畳、10畳、10畳+4畳の踏み込みなどそれぞれ広さは異なる。全室トイレと洗面所付き。数室のみ温泉内風呂付きの客室もある。客室タイプや宿泊人数により料金は異なるが、2名1室の場合の1名料金は1泊2食1万7600円〜。ひとり旅の場合は電話で予約を。
『伊豆の踊子』
川端康成初期の代表作。1918年秋、ひとり伊豆を旅した19歳の時の実体験が元になっている。旅の7年後に作品を書き上げ、1927(昭和2)年に単行本が刊行。今までに6度、映画化されており、美空ひばり、吉永小百合、山口百恵らがヒロインを演じている。
川端康成
1899(明治32)年、大阪市で生まれ、1972(昭和47)年、神奈川県逗子マリーナの仕事部屋でガス自殺したとされる。1968(昭和43)年、日本人初のノーベル文学賞を受賞。受賞式の記念講演「美しい日本の私」は日本文化の根底にある精神性や死生観を世界に広く伝えるきっかけとなった。すぐれた審美眼により、新しい才能やすぐれた芸術品を見出す能力が高く、ご自身の収集品の中には後に国宝指定されたものもある。
温泉ライター 西村理恵
雑誌やテレビなどで温泉の魅力を発信。入湯数は国内外で1000湯以上。日本温泉地域学会常務理事、(公財)中央温泉研究所理事。「ねこ温泉 いぬ温泉」プロジェクト主宰。
https://catdogonsen.com
※価格には消費税が含まれています。(入湯税別)
※お出かけの際は各施設の公式ホームページから最新情報をご確認ください。
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