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【大家は、何を売っているのか。】③自転車不動産

【大家は、何を売っているのか。】③自転車不動産

 ナショナルブランドの財閥系不動産会社で、30年間働いた。会社の名刺と一級建築士、宅建士という資格がサラリーマン人生を支えた。60歳になった時、雇用延長を申請した。あと5年、悠々と過ごせばいいと思っていたら、母親が転倒した。首の骨を折り、要介護5と診断された。

 1ヶ月の入院期間中、考えた。母親とは同居をしていた。これから先、働きながら母の面倒を看ることはできるのか。妻は外で働いている。会社を辞めようと決めたのはこの時だった。

 これは青木信男という、東京都北区赤羽の不動産コンサルタント屋さんの話だ。


 会社員時代、寝に帰るだけだった家で、90歳の母親の自宅介護が始まった。やることは次から次に出てきた。初めて母親の下の世話をした時、つくづくと考えた。

「ああ、俺はここから生まれてきたんだなあ」

 そう思ったら、介護で大変という気持ちはなくなった。2年半を自宅で看たが、2度目の転倒を機に施設に移り、1年後に母は旅立った。今思えば、家族に負担をかけない最期だった。

 介護をしていて、気づいたことがあった。まずベッドや廊下の手すりなど介護用品を準備しなければならない。介護保険にも申請が必要だ。訪問看護をしてくれる病院を探したり、自宅をバリアフリーにしたり、ケアマネージャーとやりとりしたりと家族がしなければならないことは山ほどある。初めて聞く言葉も多かった。高齢者の施設には、特別養護老人ホームや老健施設、有料老人ホーム、グループホームと種類が色々あって、入居条件は複雑でわかりにくい。

 自宅にベッドを置き車椅子が通れる部屋作りも大変だった。家には大きな鉄製のミシンがあった。洋裁の内職をしていた母が使っていたものだ。学徒動員で新潟から出てきた母は、東京赤羽の被服工場で働いた。公務員だった父とお見合いで知り合い、一男一女をもうけた。結婚後も、ミシンを踏み続けた。それを処分し、介護用ベッドを置いたりするのに、丸一日、大人3人の手が必要だった。それだけで、妻も自分もほとほと疲れてしまった。

「一人暮らしの年寄りにはとてもできるものじゃない」と思った。

 調べると北区の人口36万人のうち8万人が高齢者で、そのうち、3300人に身寄りがないと分かった。生まれてこの方、北区を出たことがない。30代の頃、実家を建て替えて新築したマイホームも赤羽にある。

 会社勤めの頃、支店は全国にあった。「客は全国にいるぞ」の号令の元、毎月毎月新規事業の発動に明け暮れた。

 しかし、母が亡くなって一息ついた時、考えるようになった。

「目の前の地域にこそ、困っている人がいるんじゃないか」

 そして、地元に住む、独居高齢者のための見守りと、家や介護の相談に乗る会社を作った。最初は株式会社だったがより安心してもらえるよう、非営利の一般社団法人にした。「地域のみんなが元気になるように」と願い、法人名はそのまま「みんな元気に」とした。

 仕事を始めて丸4年が経ち、67歳になった。高齢者支援をするとき、介護士や看護師、ヘルパーやケアマネージャーらとの連携が必須だとわかった。こうした人々と交流するとき、一級建築士や宅建士といった資格は何の役にも立たない。それより大事なのは、名前を覚えてもらうことだ。そこで、誰でも一目でわかるように、首からネームプレートを下げることにした。そこに書かれているのは、大きくて太いゴシック文字「あおき」だけだ。

 営業エリアは、自転車で行ける範囲にした。電車賃を払えば経費がかかる。

 それに、自転車で回れる範囲に、しあわせをふりまこうという気持ちもある。

 高齢者支援をしていても、家のリフォームや売買など、収入になるような場面はほとんど訪れない。年に1回か2回ある程度だ。この時のわずかな仲介手数料と年金が生活の糧だ。

 登記の整理や室内の片付けをやり終え明日遺言締結という目前まできて、本人が転倒、施設に入ってしまったこともあった。高齢者が古くから住む長屋の場合、再建築不可の場所に建っていることも多い。そうした住宅に不動産としての評価はつかない。所有者が亡くなれば空き家になるだけだ。実入りは1円もない。それでもこの4年、なんらかの支援をしてきた高齢者は、190人になった。

 子供と生き別れて数十年になると話した女性に、実の娘を探してあげたこともあった。マンションの4階に住む80代の女性は、家の中がゴミ屋敷になってしまった。エレベーターがなくてゴミ捨てが億劫になってしまったというのだ。時々行って、ゴミ出しを手伝う。70代で知的障害を抱えた男性がいる。80代の兄に先立たれ、一人ぼっちだ。そこにも様子を見に行く必要がある。

 パソコンには、190人の家族構成や家の状況、相続人をまとめた表がある。それを印刷し、月に一度必ず集まって、地元の介護士やヘルパーと共有している。

 町内会の会長は、「うちの町内に青木さんみたいな人がいてくれて本当によかった」という。そんな言葉に励まされている。

 関係する人々みんなが、住んでいる自宅の所在地も奥さんのことも知っている。地元赤羽から逃げることも隠れることもない。


 「幸福は香水のようなものだ。 人に振りかけると 自分にも必ずかかる」という言葉がある。アメリカの哲学者ラルフ・ワルド・エマーソンが残した。青木さんを見ていると、この言葉を思い出す。青木さんは、みんな元気にと思ってペダルをこぎ、自分自身も幸せを感じているように見えるからだ。

 「朝5時から携帯が鳴って参っちゃうよ、信じられる?朝5時だよ」と話す丸顔もどこかうれしそうだ。

「青木さん、私の財布知らないって、知るわけないでしょう」と笑う。電話の主は認知症のおばあさんだ。そんなやりとりを楽しそうにしている。

 『正直不動産』というテレビドラマがヒットした。それは不動産業界が社会からいまひとつ信用されていない裏返しでもある。しかし、不正直者ばかりではない。青木さんのように地域から信用されている人もいるし、必要とされている人もいるはずだ。

 青木さんの自宅所在地は、関係するみんなが知っている。奥さんの顔も名前も知っている。地元赤羽から逃げることも隠れることもない。そして今日も「あおき」の看板一つで、北区のどこかを自転車で走っているはずだ。


執筆者プロフィール | 吉松 こころさん

「Owner’sWay」編集長、株式会社パルマ社外取締役、一般財団法人KILTA理事。
業界紙「週刊全国賃貸住宅新聞」での業務経験、62日間の世界一周一人旅での不動産視察を経て「株式会社Hello News」を設立。不動産業界の現場を取材し続けている。

引越し回数22回
3年間の二地域居住経験あり(東京・福岡)
民泊宿泊750泊
シェアハウス3ヶ所
マンスリーマンション2ヶ所

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