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社宅の知識

【人事・総務のための福利厚生】《連載③》福利厚生はなぜ生まれたか?

【人事・総務のための福利厚生】《連載③》福利厚生はなぜ生まれたか?

社宅管理のご担当者・責任者の皆さんに、福利厚生に関する情報をさまざまな角度からお届けする「人事・総務のための福利厚生」。3回目となる今回は、福利厚生本来の役割について説明します。

「なぜ、会社が保養所を提供しているのか」「なぜ住宅手当を支給するのか」。会社の福利厚生には素朴な疑問があります。それを知ることで、なぜ福利厚生が必要か分かります。

写真1は、日本最初の近代的な工場である富岡製糸場です。1872年に設立されています。この工場の敷地内には、寄宿舎があります。働く女工向けの食堂も診療所もあります。これは今でいう独身寮、社員食堂、診療所です。日本最初の工場で既に福利厚生が揃っているのはなぜでしょうか?

写真1:富岡製糸場正門

福利厚生は企業活動に不可欠

富岡製糸場では全国から士族の娘を中心に群馬県富岡に女工を集めました。すると彼女たちが暮らせる場所が必要になります。食堂がないと栄養補給ができず勤務できません。また病気やケガを負うこともあり治療施設も必要です。

これらの福利厚生施設は、全国から労働力を集め、工場で毎日働き、さらに高い労働生産性を維持するうえで必要不可欠です。生産やサービス提供といった企業活動には労働力が欠かせません。その意味で福利厚生施設は企業活動において生産機械と同じく必要なのです。

戦前の日本で重要産業であった炭鉱や鉱山でも同様です。山奥にあるため、住居(鉱夫長屋)、食糧や日用品の配給所、学校、病院、すべて企業が用意しました。

また企業主催で祭りや運動会も開かれました。写真2は日立鉱山にあった社営の娯楽施設「旧 共楽館」です。大相撲、映画、スポーツ大会、歌謡大会などの娯楽が提供されました。人の確保・定着に関わるすべてを企業が用意したのが福利厚生の発祥です。

写真2:日立鉱山「旧 共楽館」(現在は市営「日立武道館))

戦後も状況は変わりません。都市部では住宅が不足し企業が住宅を提供しました。大企業では社員向けに保養所をつくり、社員と家族に余暇と娯楽を提供していました。

では、なぜ冒頭にのべた素朴な疑問が出るのでしょうか?

サービス産業の発達と福利厚生の変化

その後、外食産業やレジャー産業といったサービス産業が発達しました。すかいらーくの1号店は1970年に、東京ディズニーランドは1983年に開業しています。都市部にも賃貸住宅が供給されるようになってきました。

すると企業は自前で食堂や余暇・娯楽施設、住宅を提供せずに市中のサービスと提携して利用する、または従業員が各自市中のサービスを利用するに任せ、企業はそれらを提供しないという選択肢がでてきます。それが現在の状況です。

そのため、企業が社宅や余暇を提供していることに違和感を感じるのです。

こうしたなかで社員食堂は、栄養補給から従業員の健康管理へと役割を変えています。余暇娯楽は家族や社員間のコミュニケーション・リフレッシュの機会へ、住宅は転居転勤の円滑化という役割が付与され、福利厚生として存続しています。

同時に都市化により「核家族」となり、働く家族で育児や介護ができるマンパワーがいなくなり、企業が育児支援・介護支援をするというように新たな福利厚生も常に発生しています。

このように福利厚生は、働く人を確保し、定着させ、高い生産性を生み出させるために施設・施策としての役割がこれまでも、これからも課せられています。



可児 俊信

千葉商科大学会計大学院会計ファイナンス研究科 教授
株式会社労務研究所 代表取締役/福利厚生専門誌『旬刊福利厚生』発行
企業や官公庁における福利厚生制度のコンサルティングを行う。福利厚生や企業年金などをテーマとした著書、寄稿、講演多数。

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